Meintenance Of Jeans

from beginnings to 1849
リーバイがアメリカに入植した2年後、フロンティアラインの最西の地カリフォルニアは未曾有の活況を呈することになる。1848年、きこりを生業としていたジェームズ・マーシャルが、サクラメントの北方、サッターズミルで砂金を発見したことに端を発するゴールドラッシュが原因だ。1年間に10万人ものフロンティアーズマンが一獲千金を夢見てカリフォルニアを目指し、1849年にカリフォルニアを訪れた人々はフォーティナイナーズと呼ばれた。この名前は現在でもサンフランシスコのフットボールチームの名前として受け継がれている。このことからもゴールドラッシュが、いかにメモリアルな出来事だったかが分かるだろう。
そして、ゴールドラッシュによる人口増加は、1850年にカリフォルニアを州に昇格させると同時にカリフォルニアの金を掘り尽くしてしまった。しかし、以後1870年代にかけてゴールドラッシュはカリフォルニアから西部各地へ飛び火し、フロンティアラインは西から東へと進むことになり、ゴールドラッシュはアメリカ大陸開拓に、一役も二役も買ったのだ。ちなみに、ネブラスカ州オマハから西を目指したユニオン・パシフィック鉄道とカリフォルニア州サクラメントを起点としたセントラルパシフィック鉄道が繋がり、大陸横断鉄道が完成したのは1869年のことだ。
このような状況下で当時のアメリカ西部を根底から支えてきたのは、金鉱掘り、カウボーイ、木こり、レイルロードマンなどのワークマンだ。彼らが過酷な生活条件を生き抜くために必要とした洋服の条件、それはファッションでもステイタスでもなく、何にも増して丈夫であることの一点のみに集中していた。ただし、彼らのニーズを満たしたリベット付き衣料、すなわちジーンズが生まれるには、先に記したリーバイ・ストラウスとヤコブ・デイビスという二人の男の出会いを待たなければならない。つまり、ゴールドラッシュから20数年の時の流れが必要とされたのだ。そして、カルフォルニアのゴールドラッシュの最盛期にあたる1949年に、バーモント州で、後にリー・ジーンズの生みの親となる、ヘンリー・デビット・リーが生まれていることも、ジーンズ史においては見逃せない事実といえるだろう。
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●写真資料提供/リーバイ・ストラウス ジャパン