| ゴールドラッシュの5年後の1853年。リーバイ・ストラウス社の創始者、リーバイ・ストラウスはサンフランシスコに到着した。当時の西部では、食料、道具、頑丈な衣料などの生活必需品は命を支える重要な資源であり、それらを提供する会社の設立も盛んだったようだ。1851年には、後にフリスコ・ジーンズ、ロガージーンズなどのワークタイプのジーンズをリリースするエロッサー・ハイネマン社が操業を開始した(1878年という説もある)との記録も残されている。 リーバイが金鉱掘りになるべくサンフランシスコへ来たのではなく、金鉱掘りを始めとしたワーカーたちに頑丈な衣料を提供することを目的としたのは、ジーンズの発展にとって、有意義なことだった。彼は、シスコに到着するや東部から調達した衣料や雑貨を販売すると同時に、テントに用いられた頑丈なキャンバス地でパンツを商品化していく。それらの生地は、ニューハンプシャー州のアモスケイグ社から仕入れており、生地だけでも販売していたことが、リベットを打ち込んだ頑丈なパンツ、すなわちジーンズの誕生を促したのだ。 そして、1856年、リーバイに遅れること3年の時を経て、ジーンズ史に金字塔を打ち立てるもうひとりの重要人物、ヤコブ・デイビスが夢と希望をポケットに詰め込み、サンフランシスコの地に足を踏み入れる。また、ちなみにこの年には、後にワークウエアブランドを生み出すハミルトン・カーハートがニューヨークで誕生している。 |
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デイビスは、サンフランシスコ到着後、仕立て職人からスタートし、石炭業、タバコ屋など職を転々としていくが、どれも成功せず、1868年にセントラル・パシフィック鉄道の開設で沸くリーノウに出向き醸造業の共同経営者として生計をたてようとするが、これもうまくいかなった。そして、仕立屋へと戻り、運命の時を迎えることになるのだ。 1869年、デイビスはリーバイ・ストラウス社から仕入れたズック生地で馬用ブランケットや荷馬車のカバー、テントなどを仕立てるようになる。そして、1870年10月、2ロール目のズック生地をリーバイ・ストラウス社から仕入れた。これが、ジーンズの原形の素材となるとも知らずに。 その年も押し詰まった12月のある日、デイビスの元に一人の女性が訪れ、きこりの夫のために頑丈なズボンを注文した。特にポケットの縫い目がほつれてしまうと、デイビスに伝えて。 デイビスは手元にあった10オンスの綾織ズック生地でズボンを縫製した。ポケットはいつものように糸で縫われたが、テーブルの上に馬用ブランケット制作に使用するリベットがころがっていた。そのリベットを見た瞬間にデイビスの頭には、あるアイディアがひらめいたという。彼は、前と後のポケットの両端にリベットをハンマーで打ち付けたのだ。リベットを象徴とするジーンズの原形が誕生した、記念すべき瞬間である。 |
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| デイビスがリリースした、リベットを打ち付けたズック地のズボンは好評となり注文が相次いだ。しかし、デイビスはひとつの悩みを抱える。それは同じようなズボンをいつ誰が作り出すとも限らないという商才が投げ掛ける疑問だった。そこで、1872年にデイビスは、生地の仕入れ先であるリーバイ・ストラウス社に手紙をしたため、共同での特許取得を打診。同じく商才に長けたフロンティアーズマンであったリーバイは、リベット付き衣料の輝かしい将来を見抜き、デイビスの申し出を受諾し、翌1873年には特許を取得する。 サンフランシスコのフレモントストリートのリーバイ・ストラウス社の工場では、リベット付き衣料の製造が開始され、デイビスは初代工場長として就任する。この瞬間こそが、501の歴史が育まれていくルーツでもあるのだ。 |
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●写真資料提供/リーバイ・ストラウス ジャパン |




