Meintenance Of Jeans

from 1910 to 1919
5ポケットのジーンズはデニム・アイテムの代名詞的な存在だが、もうひとつ、忘れてはならない重要アイテムがある。オーバーオールだ。下半身だけでなく、身体全体を包み込むというスタイルと目的をもった数々のポケットの装備は、ワークウエア本来の機能を十二分に発揮し、アメリカの発展を労働者と共に側面から支えてきた。
1889年に食料品や日曜雑貨品を取り扱うグロサリーストアとして、カンサスで創業したH.D.リー・マーカンタイル・カンパニーの取扱アイテムにも、オーバーオールは必要不可欠なアイテムとして名を連ねていた。
まだ、未開発の荒野が広がるフロンティアエリアがいたるところにあった当時のアメリカでは、頑丈な労働衣料は重要な生活必需品だったのだ。それは、工場が操業する都市部、牧畜や農業が営まれるカントリー部でも同じだった。
しかし、H.D.リー・マーカンタイル・カンパニーが本拠地としたカンサスをはじめとした中西部では、東部から鉄道により輸送されてくるオーバーオールは、入荷の遅延もしばしばだった。そこで、H.D.リーは、衣料工場を設立し、自らオーバーオールをはじめとしたワークウエアの製造に乗り出したのだ。時は1911年、ジーンズ・ブランド、リーの記念すべきスタートの瞬間だ。
素材は8オンスで、スタイルは胸当付きのビブ・オーバーオール。現在の一般的にオーバーオールとして親しまれるタイプだ。また、他にも、ビブ・オーバーオールから胸当てを廃したダンガリーズも製造されたとされている。これは、現在はカーペンターパンツなどの愛称で親しまれるワークウエアで、後には、カウボーイ用のジーンズとして開発されることになるリー・ライダースの原形ともなった歴史的アイテムでもある。
1912年、サンフランシスコではリーバイス(R)ブルーデニム製の子供用の「つなぎ」を発表する。考案者はヤコブ・デイビスの息子、サイモンだ。彼は、自分の子供が遊ぶ姿を見てアイディアを煮詰め商品化に至らせた。販売促進にも熱心で3歳の娘のエステルをモデルとして起用し、広告活動も展開した。
カバーオール(KOVER ALLS)と名付けられた子供用のオーバーオールは、屋外で遊ぶ子供たちを常に清潔に保つことをコンセプトとしており、すぐさま好評となり全国規模で売り出され、素材やデザインなどを違えた幾多のバリエーション・アイテムをも生み出していった。これは、デニムの範疇を労働着から、子供の遊び着に広げた画期的な出来事でもあった。「過酷な労働から身体を守る労働着」と「子供を清潔に保つ遊び着」。その根底に流れるコンセプトは、人間の身体を守るという意味では同じだ。しかし、そのコンセプトをオケージョンに合わせて発展させた意義は大きい。
また、リーバイス(R)名前を全米へ広めたスポークスマン的なアイテムであったことも見逃せない。当時、501(R)、まだ西部を中心としたエリア限定で販売されていたのだ。また、カバーオールは、リベット付き衣料に引き続きサンフランシスコ技術者協会から優秀賞を贈られており、この事実からも、その歴史的な偉大さを伺い知ることができる。
この時期、リーバイス(R)工場の改善にも努め、フォード自動車工場を参考にして、衣料業界では初とされる流れ作業の製造システムを完成させている。また、1915年には従来のアモスケイグ社製からコーンミルズ社からデニムを仕入れるようになった。仕入れたデニムは、29インチ幅9オンスのもので、もちろん赤耳が生地の両端に施されていたことは言うまでもない。
   
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