| 1930年代の幕があける前夜、1929年10月29日のブラックチューズデーでの株価の大暴落を契機に、アメリカは大恐慌の時代へと深く潜航していく。フーヴァー政権に代わり1933年に大統領に就任したフランクリン・D・ルーズヴェルトによるニューディール政策を挟み、アメリカが黄金期への滑走路に乗るには、1941年から始まる第2時世界大戦による軍事支出の増大と戦勝景気の到来を待たなければならなった。
しかし、苦しいこの10年の時間の中でもジーンズは進化を続け、数々のエポックメイキングな開発が行なわれ、ジーンズ史にさん然と輝く金字塔を打ち立てていく。 1931年、リーは着丈の短いテーラードのデニムジャケット101Jをリリース。腰丈で留る着丈は、カウボーイが乗馬の際に腰のあたりをすっきりさせるもので、フィットもタイトに身体を包み込んだ。リー独特のラウンドデザインを施したチェストポケットは斜めに付けられるなど、そのデザインの創造性の高さは、現在もスタイルを変えずに残るという事実からも伺い知ることができる。 1933年には、デニムジャケットのウインターバージョンが発表される。[ストームライダー]と呼ばれ、ライナーには“アラスカンライナー”の名前で親しまれたブランケットが装着され、体温から発する熱を逃がさないように衿にはコーデュロイがカバーされた。当初は織りネームでクリエイトされた風雨の中を進む馬上のカウボーイを描いたラベルは、時代の趨勢とともにプリントへ変更されるが、時代の空気を伝える貴重なデザインは永遠不滅の価値がある。 ワークウエアへのサンフォライズドデニムの採用もこの頃に行なわれ、ブルーベル社と名前を変更したビッグベン・マニファクチャリング社と、後に合併することになるグローブ・スーペリア社はJCペニーのハウスブランド、ビッグマック用の商品を、サンフォライズ加工の生みの親であるカルエット・ピーボディ社との共同で1934年にリリース。翌年には、ブルーベル社も同様にサンフォライズドデニムを使用した縮まないワークウエアを発表している。 |
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大恐慌の影響は西部の牧場へも例外なく訪れた。牛肉の価格が低落し経営に圧力がかかってきたのだ。そのためにオーナーたちは、牧場を観光客に開放することを思い付く。不況の中でもまだ余裕を持つ人々は存在していたのだ。丁度、ハリウッドではジーン・オートリーやレックス・アレンらの俳優がカウボーイに扮したウエスタン・ムービーが続々と生産されていた。
デュードランチ(観光牧場)を訪れた人達が出会うのはリーバイス(R)をはいたカウボーイたちだ。当時西部のカウボーイたちの間では、新品の501(R)をはいたまま川に入りシュリンクさせ身体にフィットさせたり、仕事用と外出用の2本を持つことが誇りになるほど、501(R)は神格化された存在でもあったのだ。 都会から訪れた観光客は、彼等の姿に銀幕のヒーローを重ね合わせ、501(R)をその象徴としてイメージしたのだ。リーバイス(R)がハリウッドに衣装提供をしていたという影響も見逃せない。 そのヒートぶりを伺い知るこんなエピソードも残されている。当時、ニューヨークのスポーツショップだったアバクロンビー&フィッチには、デュードランチに影響され501(R)を求める人達が頻繁に訪れた。ボタンフライを嫌う東部人気質により、リーバイス(R)のイーストコーストへの進出が未開拓だった時代の話だ。アバクロンビー&フィッチは、問い合わせの多さに、思わずリーバイス(R)へ郵便で注文を出したというのだ。 デュードランチは、女性のためのジーンズ開発にも一役かった。当時の写真を見るとジーンズ姿で観光を楽しむ女性たちの姿がある。アイドルと同じスタイルをしたいというファン心理は今も昔も変わらない。 そんな最中にリーバイス(R)から女性用ジーンズがリリースされた。ピンクのセルビッジを持つ7オンスデニムの701がそれだ。そして、1935年には、洗練された都会派雑誌である「ヴォーグ」誌に、カウガールの洒落たイラストをイメージに起用した広告が掲載された。この広告は、まだまだ男性社会だった時代背景、そしてジーンズがまだワークウエアとしての価値で需要されていたことを考え合わせれば、かなり画期的だったと言える。 |
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