Meintenance Of Jeans

from 1940 to 1949
アメリカが第2次世界大戦に参戦する前夜に、ふたつのジーンズブランドが、より現在のスタイルへと近づく進化を遂げる。
リーバイス(R)の501(R)からは、クロッチリベット(股下のリベット)が排除され、ワークウエアからより現在のデイリーウエアのスタイルに近づく。これは、当時のリーバイ・ストラウス社の社長、ウォルター・ハースが、フライフィッシングへ出かけたときに、キャンプファイヤの熱でリベットが熱くなったということに起因したというエピソードが残されているが、そのほのぼのとしたエピソードのバックグラウンドに、リベットがなくても、ストレスに耐える頑強さを実現できるようになった縫製技術の進化があったことも逃せない事実だ。
当時はジーンズが、ワークウエアからデイリーウエアのエリアへ足を踏み入れていた時代で、1940年代には、ロサンゼルスのティーンエイジャーの間でレッドタブ刈りというムーブメントが巻き起こった。これは、レッドタブを集めると無料で501(R)がもらえるという、根拠のない噂に基づくもので、ここからもジーンズ、501(R)が、若者文化に対してどれほどの影響力を持ち始めたのかを伺い知ることができるではないか。
一方、カンサスを本拠地として、カウボーイの間で人気を博していたリーは、メインアイテムへと成長していたカウボーイパンツ101のヘアオンハイドラベル(毛付きの本革ラベル)を、なめし革のラベルへと変更。ワークパンツの面影を残した101の素朴な風情は、よりスタイリッシュに変貌を遂げていく。この本革ラベルは、洗うと縮むことから、後年にはトゥィッチ(縮む)ラベルとも呼ばれ、その味わいはヴィンテージブームの中で見直されていくことにもなる。
第2次世界大戦が勃発すると、若く頑強な男達は戦場へと駈りだされた。そして、彼らに補給する物資を製造する工場には、リベットロージーと呼ばれた女性工員たちも従事した。
リーバイス(R)が本拠地とするアメリカ西海岸には、軍事目的の航空機産業と造船所が活発に稼働し、高賃金と徴兵免除などの待遇に惹かれ、全国から何10万人という労働者がウエストコーストへ移動し、501(R)の頑強さに触れたのだ。また、西海岸に駐屯したGI達が、PXで501(R)の存在を知ったということも、その後のジーンズの発展史に大きな影響を与えことになる。
しかし、戦時生産局は、物資保護のために衣料から不必要なディテールの排除を勧告、メンズのスラックスからは裾のダブル仕様が消えたという。501(R)も例外ではなく、サスペンダーボタン、シンチバック(尾錠)、コインポケットのリベットが消え、さらにはリベットの素材は銅からスチールに、アーキュエット・ステッチも糸の節約を理由にペンキステッチへと変更された。これが、後年のヴィンテージブームの中で「大戦モデル」として親しまれることになる501(R)だ。つまり、大戦中の短い期間にしか製造されなかったことへの希少性、時代が要求した進化の過程に反したプリミティブなスタイル美が再評価されたということである。
また、軍当局は、デニムのオンス低下をも指示してきたが、リーバイス(R)はこれをかたくなに拒否。当時、ニューヨークの買い付けオフィスのヘッドであったオスカー・グローブルは、デニムのオンス低下はコットンの節約になると思われがちだが、実は501(R)の耐久性を低下させ、かえって無駄になると、ワシントンに陳情。これにより、501(R)のデニムは13.5オンスにまで増加したのだ。これは、長いジーンズ史の中でも、リーバイス(R)のジーンズに対するこだわりを知る重要なエピソードだ。
この戦時下で、リーバイス(R)は、501(R)のみならず、海軍のユニフォーム用としてオーバーオールを、アラスカ部隊用として防寒パーカなども製造している。また、ブルーベル社においても、マッカーサーを始めとした300万人もの兵士達にミリタリーウエアを製造するなど、この時期のジーンズメーカーは、ワークウエア製造のノウハウを元に、ミリタリーウエアの歴史の中でも、大車輪の活躍という足跡を、しっかりと刻み残しているのだ。
 
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