|
1960年代後半から'70年代にかけてアメリカは激動の時代へと突入していく。
公民権運動、ベトナム戦争に対する大衆デモなど、'50年代に芽生えたティーンエイジャーたちの
反体制スピリッツが大きなムーブメントとなり、全世界へと飛び火していったのだ。 そして、ジーンズは、彼ら活動家のユニフォームとしてはかれることにより、 当時の若者たちが夢見た自由の象徴となり世界を駆け巡っていった。 特にリーバイス(R)の501(R)は、学生運動の推進家たちがこぞってはき、 東部諸州からカリフォルニアを目指してやってきた若者たちは素足で501(R)をはき、 オックスフォードのシャツを合わせていたという。 リーバイ・ストラウス社が本社を構えるサンフランシスコはムーブメントの中心地となり、 ヘイトアシュベリーには髪に花を飾り、平和を訴えるヒッピー達やロックバンドなどが集まった。 その中で、1969年にリーバイス(R)がリリースした646を始めとしたベルボトムが、 ストレートジーンズに変わり彼らのファッション的なシンボルとなっていく。 リーバイ・ストラウス社はこのムーブメントに積極的に参加し、 サンフランシスコのロックバンド、ジェファーソン・エアプレーンなどを起用したラジオコマーシャルを流したりした。 そして1974年、'70年代のジーンズの総決算的なイベントがリーバイ・ストラウス社の手により開催された。 「デニム・アートコンテスト」の開催だ。 これは、刺しゅうやスタッズなどで個人的なデザインをジーンズに施し、 反体制的な自己主張をするというストリートの流れを結集したものだ。 コンテストにはなんと2000点余りもの作品が寄せられ、優秀作品は18カ月にも渡り全国を巡回し展示されたというエピソードからも、 この時代のジーンズのパワーを読み取れるだろう。 これらのムーブメントの中で、ワークウエアとして発祥したジーンズは、 階級を超えたファッションアイテムとして認知されていったといえる。 1977年6月1日には、当時の大統領、ジミー・カーターがホワイトハウスの会合の席上で リーバイ・ストラウス社の得意先のひとりであることを語るというエピソードも残されている。 ジミー・カーターは、そのコメントの最後に「以前ほど、ブルージーンズをはき潰す時間はありませんが」と付け加えたという。 |
||
![]() |
||
|
ジーンズがファッション化の道を辿る一方で、伝統的なジーンズのフィールドにも変化がおき始める。
1975年に全米プロ・ロデオ・カウボーイ協会(PRCA)が、ラングラーの「13MWZ」をオフィシャルジーンズとして採用したのだ。 PRCAの創立時にはリー社が最大級の貢献をしたブランドであったが、 時代の流れと共にリー社はよりシティライクな方向性へと歩み始めていた。 そこで、後発ではあるがカウボーイのためというキーワードで登場し、 その戦略を崩さなかったラングラーに白羽の矢が立ったのではないだろうか。 カウボーイはアメリカのワーカーの中でも、もっともシンボリックなヒーローキャラクターとして認知される職業だ。 実際には、過酷な労働を余儀なくされるハードワーカーであり、 その日々の暮らしにヒーロー的な要素はなかったが、ハリウッド製のウエスタンムービーや、 ロデオというスポーツが、彼らのシンボル化に拍車をかけたカタチとなったのだ。 '70年代のジーンズは、フラワームーブメントのユニフォームであると同時に、 アメリカが自ら偶像化したヒーロー、カウボーイのユニフォームでもあったのだ。 実際に、ラングラーの13MWZは、サドルを傷つけないラウンド型のスクラッチレスリベットや 頑丈なダブルニードルステッチを施したシームなど、カウボーイのニーズを満たしたジーンズで、 全米プロ・ロデオ・カウボーイ協会がオフィシャルジーンズとして認めることがなくとも、 カウボーイ達のマストアイテムとなっていた筈だ。 PRCAがラングラーの13MWZを公認ジーンズとした事実は、市場のニーズの結果としての出来事だったともいえるだろう。 現在も、テキサスではラングラーの13MWZにきっちりとセンタープレスを付けてストリートを闊歩するカウボーイがたくさんいるという。 ジーンズのファッション化にフォーカスされ語られがちな'70年代が、 カウボーイというアメリカならではの伝統的ヒーローのオフィシャルブランドが 認定されたディケイドでもあったことは、興味深い史実ではないだろうか。 |
||
![]() |
||
|
一方、日本のジーンズシーンではアメリカのムーブメントに影響を与えられつつも、純国産デニム、純国産ジーンズ開発への動きが活発となっていた。 そして、この動きが後に日本を世界でも有数のジーンズマーケットへと育成していくことになるのだ。 デニムから見ていくと、1970年に生地メーカーのカイハラが自社でロープ染織の機械を完成させ、ロープ染織によるデニム織布を開始。そして、1973年にはクラボウが、国産初の14オンスデニム、KD-8を開発し、メーカーへの供給を開始している。 その動きの中でビッグジョンは、ベルボトム、オーバーオール、ウエスタンシャツなど、時代のトレンドを咀嚼したヒットアイテムを活発にリリースしていくと共に、1971年にはユニオンスペシャルのミシンを導入し、巻き縫いによる縫製をジーンズに採用する。ユニオンスペシャルのミシンは、後にヴィンテージブームが巻き起こると同時に幻のと形容され話題となったミシンだ。 ビッグジョンの技術力開発の飽くなき探求は、1975年の本格派ワークブランド、「ワールドワーカーズ」の発表や1976年のヘビーオンスデニムの先駆けとなった15.1/2オンスデニムを採用した「エクストラ」の発表を実現させていく。 ワールドワーカーズはトリプルステッチを駆使したペインターやオーバーオールなどのワークウエアを日本にトータルで紹介した歴史的ブランドとして、エクストラはジーンズの頑丈さを探求したエポックメイキングなアイテムとして、それぞれがジーンズ史に名を残す逸品たちだ。 また、日本でレディースジーンズが本格的に始動し始めたのもこの時期で、1971年にはカイタックインターナショナルからゲイタッグスが、1973年にはワオ、1976年にはボブソンのレディースセクション、1978年にはサムシング、そして1979年にはスウィートキャメルが、それぞれデビューを果たしている。 |
||
![]() |
||



