Meintenance Of Jeans

from 1980 to 1989
1980年代は、いわゆる何でもありの時代ともいえる。体制に反発したヒッピームーブメントが、 ベトナム戦争が終結することによる大義名分の消滅などにより無力化していったときに、 アメリカでは人々の関心は健康ブームへとムーブしてった。
'70年代後半には、CKカルバン・クラインが、細みのシルエットとファッショナブルなステッチワークをデザインした バックポケットを持つジーンズを発表。 ワークウエアの香りもなく、ベルボトムのようにカルチャー的な香りもない、全く新しいジーンズの誕生だった。
この流れは日本にも流入し、幾多のブランドが「ディナージーンズ」のキーワードの元、 同タイプのモデルをリリースしていった。 ディナージーンズの名前に、ディナーにも着用していけるジーンズという意味が込められていることからも、 その意識の変化のありようが分かると思う。
'81年にはゲスのジーンズが話題を呼ぶ。 ニューヨークのプレステージとして知られる百貨店、ブルーミングデールで、 ストーンウォッシュを施した洗いざらし感覚のスリムジーンズが発売され、 30本のジーンズが3時間の内に瞬く間に完売し
ジーンズの新たな魅力を世に知らしめた。
フランスではマリテ+フランソワ・ジルボーがペダルプッシャーと呼ばれる 切替えデザインを施したスリムシルエットのデザインジーンズを発表している。 このように、'80年代は、デニムという素材をベースに、新たな価値観を模索していった
ジーンズのフロンティアディケイドであったとも言えるのだ。
また、タイトできれいなシルエット、デザイン性の追求、 そして中古感覚ではなく美的感覚を持つストーンウォッシュの登場は、 きれいめなファッションの中でもジーンズが生き続けられる生命力を持つ証明ともなった。
日本でも、このきれいめなファッションの流れは例外なく訪れたが、 ジーンズとは少し外れた部分での流れだった。
プレッピー、ニュートラ、ディスコなどのトレンドがそれで、'70年代後半から'80年代初頭にかけてストリートを席捲していった。
その流れの中で、ボブソンがリリースした「エンゼルスフライト」は大ヒットを記録。 デニムではなく、素材に加工糸を使用したソフトフレアシルエットのパンツで、時代のトレンドにぴたりとマッチした開発だった。 ボブソンは、'82年にも、新しい感覚を持ったカジュアルパンツ「ODパンツ」をリリースし、これ もヒットさせている。
1980年、ドイツのケルンでジーンズの世界見本市「ケルンメッセ」が開催された。 このイベントは世界のジーンズメーカーが一堂に会し、ニューアイテムを御披露目する場でもあった。 その会場には、日本の3大ブランド、エドウイン、ビッグジョン、ボブソン(50音順表記)のブースがあった。
日本でのデニム低迷のトレンドを尻目に、各ブースとも高く評価され、 日本のジーンズの存在感を世界に知らしめると共に、海外進出へのきっかけともなったようだ。
ビッグジョンは翌1981年に、ロサンゼルスに現地法人ビッグジョン・アメリカ・コーポレーションを設立したり、 ピエール・カルダンとのライセンシー契約を結ぶなどグローバルな動きを展開。 一方で、日本のジーンズとしてのアイデンティティ表現でもあった セルビッジジーンズの傑作「レアジーンズR002」を国内で発表する。
R002は、ビンテージという感覚よりも、日本人が作る最高峰のジーンズとは何かを追求していたようだ。 最初にシームがねじれていて、洗うとシームが真っ直ぐになるなどの技術は 日本ならのものであると言えるのではないだろうか。
エドウインは、ケルンメッセに出品したボディコンシャスなスリムジーンズ「ロンドンスリム」をベースに、 5ポケットの可能性を追求していく。 身体にフィットし、ストーンウォッシュなどの加工によるバラエティ豊かな表情を持つデニムなど、 ロンドンスリムの完成度の高さは、現在のジーンズのベースともなる要素がふんだんに詰め込まれており、 ファッショナブルなジーンズを作ることで定評のある欧州でも高い評価を受けた。 1983年には同コンセプトを持つス トレートジーンズ「アメリカンベーシック」もリリースされている。
また、エドウインは1985年に米国法人USエドウイン・インターナショナルを設立しアメリカ市場での基盤作りも行う。 翌年にはアメリカ生産のベーシックな5ポケットライン「メイド・イン・USA」を発表すると同時に、 リーの日本法人「リージャパン」を取得、1988年にはイタリアのリベルトを取得するなどグローバルな動きに拍車をかけていった。
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