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アメリカでは、リーバイス(R)が29インチ幅の赤ミミ付きデニムの採用を一時中止し、広幅デニムの採用へとシフトしていく。
供給元であるコーンミルズ社も製 造を一時中止した。
これは、ジーンズがファッションアイテムとして進化していくために必要な過程であったとも言える。
つまり広幅デニムの採用は、既成概念 を打破し、新しい可能性を追求していくことと同義であったのではないだろうか。 そのスタンスは、1981年のレディース用501(R)のリリース、そして1986年のドッカーズのリリースが象徴しているの。 メンズジーンズの王道アイテ ムとして認知されていた501(R)の女性層への解放は、 女性の意識変化に対応し、ドッカーズは、ジーンズで育ちながらも体型変化に悩む ベビーブーマー層への問い掛けでもあったと思われる。 ドッカーズは、デニムではなくチノを中心にしたカジュアルラインのブランドで、 社会の中枢へと入り込みスーツで毎日を送るベビーブーマーたちへ、 ジーンズをはいたヤンガーデイズを思い起こさせるに十分な力を持っていたのだ。 リーバイス(R)と並ぶブランドとしてドッカーズは位置付けられ、アメリカの百貨店などでは、 リーバイス(R)とドッカーズは別フロアでそれぞれに大きな売場を構え、ターゲット別に対応。 デビューから8年間で年間売上を10億ドル強を達成するという成功を成し遂げた。 これらリーバイス(R)の動きは、労働着、カウンターカルチャーの象徴というインパクトはありつつも 狭義な範疇に留まっていたジーンズカジュアルの解放でもあったのではないだろうか。 それは1984年に開催されたロサンゼルス・オリンピックをスポンサードし、 オフィシャルユニフォームを提供したという画期的な出来事にも伺い知れる。 ロサンゼルス・オリンピックは、ジーンズを中心としたカジュアルが、 ワークウエア、ファッションアイテムとしての存在価値の他に、 日常生活着としての価値観を醸成していった時代の象徴的な出来事であったとも言えるのだ。 |
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海外で高い評価をうけた日本のジーンズメーカーは、さらなるシルエット開発、
そして洗い加工技術の練達に磨きをかけていった。
ディナージーンズ、ペダルプッシャーの流れから、スリムシルエットの5ポケットへとトレンドはムーブ。
中でも、「ケミカルウォッシュ」のビッグなヒット は、スリムを中心とした
5ポケットジーンズのトレンド再浮上に大きな役割を果たした。
ケミカルウォッシュはストーンウォッシュに使用していた軽石に薬品を染み込ませ、
デニム表面にランダムでインパクトのある色落ちを表現したものだ。 このインパクトがトレンドをデニムに振り向かせ、ジーンズブームを巻き起こしていった。 ブリーチ、長時間ウォッシュなど、洗い加工の奥行き追求も、 このケミカルウォッシュのヒットが後押ししたといっても過言ではないだろう。 ただし、このジーンズブームには、加工のみではなく、 バリエーション豊かなシルエットの開発が大きく貢献していることも見逃せない。 エドウインはロンドンスリムを核とした「インターナショナルベーシック」とアメリカ生産の「メイド・インUSA」をシリーズ化し、 ストレート、スリムのカテゴリーに体型に対応した様々なシルエットを開発展開していった。 ビッグジョンは1983年に「日本人の体型と感性にフィットするジーンズ」のコンセプトで「スピリット」シリーズを展開すると共に、 1985年にはトラウ ザー専用ブランド「ウォルボ」、1986年にデザインカテゴリーをまとめた「スパナ」、 1987年にレディースの本格派ブランド「ブラッパーズ」など、立て続けに新たな提案をマーケットに提示していった。 一方で、耳付きデニムへの評価が静かに高まりつつもあった。 これは、古着マーケットからのムーブメントで、1986年にステュディオ・ダ・ルチザンが耳付きデニムを使用し、 ビンテージを独自解釈したアイテムをリリース。 そして、シュガーケーン、ドゥニーム、ラピーヌなどが、ジーンズのファッション化、 デイリーウエア化の影で失われていった、「味わい」を追求したレプリカジーンズへのアプローチを開始。 加工+シルエットによるジーンズトレンドの中にあって、 '90年代に一世を風靡することになるビンテージブームが、静かに幕を開けていったのだ。 |
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●写真資料提供/エドウイン、ビッグジョン、ボブソン、リーバイ・ストラウス ジャパン |



